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陽光LED照明「明王 Myo-Ou」シーリングライト グリーンユーティリティー 正規販売代理店

2026/04/14 23:29


健康のためには、運動しなきゃ。 生活リズムを整えなきゃ。
そうやって「頑張る」ことで手に入る健康も、もちろんあると思います。

でも、「しんどい」と感じるまで自分を追い込んでしまうなら
それは少し、違うのかもしれません。
自律神経がすり減って、眠れなくなるまで頑張る必要はないんです。

ずっと身体の感覚を頼りに生きてきた私が、今思うこと。
それは、「本当に健やかであるために、努力はいらない」ということです。

どんなに強い木でも
根を張るための「土」と「水」がなければ枯れてしまうように。
私たちにも、ただそこにいるだけで自分が整っていく「場所」が必要です。

これは、かつて身体の表現者として限界まで自分を追い込んでいた私が
ふと力を抜いたときに見つけた、「頑張り屋さんのための、頑張らない健康づくり」についてのお話です。

1.身体の声が、聞こえなくなる前に

以前、プロのダンサーとして活動していた頃のことです。
アスリートのように身体をいじめ抜く毎日でしたが、
その苦しさや葛藤も含めて、今の私をつくってくれた大切な時間だったと思います。

真面目すぎる自分も、どうしようもなくダメな自分も。
考え込んで眠れない夜も、根拠なく笑える誰かとの時間も。
その時々の「ゆらぎ」さえも、私という人間の個性でいいと私は思います。

そうやって自分の全てを受け入れるためには
ひとつだけ条件がありました。

それは、身体の感覚が澄んでいること。

ノイズが蔓延る環境では
身体が発する微弱なサイン「あ、いま無理してるな」という本当の声が、聞こえなくなってしまうんです。



西日が差し込む部屋のカーテンと、壁に落ちる窓枠の影

2.大人になって見失った「時間の匂い」

今の暮らしの中で、ふと立ち止まったことがありました。

「家の中にいると、時間の感覚がなく消費されている感覚」

子供の頃を思い出してみてください。
朝の光の清々しさ、昼間の活気。
そして夕暮れ時の、あのなんとも言えない切なさや
少し心細くなるような寂しさ。
光が変わるだけで、心も一緒に揺れ動いていた気がします。

けれど、現代の私たちはどうでしょうか。

夜になっても、部屋の中は昼間のように明るいまま。
身体はいつ「今日」を終えればいいのか分からず
迷子になっているんだと思います。

「平坦な時間」の中で
私たちは知らず知らずのうちに
大切なリズムを手放してしまっていたのかもしれません。


3.「当たる」のではなく「包まれる」

そんなときたまたま出会ったのが、
「明王(Myo-Ou)」という光でした。

初めてその灯りを点けたとき、驚いたのはその「気配のなさ」です。
照明器具から光が放たれて、身体に「当たっている」という感覚が全くないんです。

森の木漏れ日の中にいるような。
あるいは晴れた日の窓辺でうとうとしているような。
優しくて、形のない何かにふわりと「包まれている」感覚を感じました。

ただ部屋にいるだけなのに、
外にいるような開放感と、守られているような安心感が、そこにはありました。